為楽当及時~再旅人kenのblog~

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福岡の神社まとめ

福岡で訪問した神社のまとめをしてみたいと思います。

香椎宮
官幣大社、勅祭社、別表神社
祭神:仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、住吉大神

起源は西暦200年の仲哀天皇崩御にさかのぼる
本殿は1801年の再建で重文、日本唯一とされる香椎造



宮地嶽神社
県社、別表神社
祭神:神功皇后、勝村大神、勝頼大神

創建は約1600年前
息長足比売命(神功皇后)が、三韓征伐の前にこの地に滞在し、
宮地岳の頂に祭壇を設け祈願して船出したのが始まりと言われる
勝村大神、勝頼大神は神社の説明板に「随従の~を併せ」とありましたが、
詳しいことは分かりません

奥に行ったところに、宮地嶽古墳があり、
そこからの出土品は国宝に指定されています
被葬者は天武天皇の妃、尼子娘の父、宗形徳善との説が有力
宗形は胸と肩、そこに入れ墨をした海洋部族の姓だと、
宗像大社で見たような気がします



宗像大社(訪問したのは辺津宮)
式内社(名神大)、官幣大社、別表神社
祭神
沖津宮(おきつみや) : 田心姫神
中津宮(なかつみや) : 湍津姫神
辺津宮(へつみや) : 市杵島姫神
総称して宗像三(女)神
辺津宮が九州本土に、中津宮は筑前大島に、沖津宮は沖ノ島に鎮座

天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)の際、
天照大神の息から生まれたのが宗像三女神ということになっていて、
彼女達は天照の勅命を奉じ皇孫を助けるため筑紫の宗像に降り
この地を治めるようになったのが起源とされている
元は地方神であったのが、朝鮮半島重視化の中で、
国家神として祀られるようになった

沖ノ島では古くから祭祀が行われ、
出土品も数多く、その出土品は、
福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品
として国宝に指定
また、世界遺産指定を求める運動が行われています
祭祀は行われていた形態からいくつかの段階に分けられますが、
後半は遣唐使の航海安全を祈願するもので、
遣唐使の廃止以降、祭祀も廃れたそうです

本殿、拝殿は重文
その他、重文あり



筥崎宮
式内社(名神大)、筑前国一宮、官幣大社、別表神社
祭神:応神天皇、神功皇后、玉依姫命

延喜21年(921年)6月21日に八幡神の託宣があり、
筑前国穂波郡の大分宮を玄界灘に面した土地に移したのに始まる。
延長元年(923年)に現在地に遷座。



筥崎宮のみ、少し毛色が違うかな?という感がありますが、
キーワードは神功皇后、でしょうか。
応神天皇の母が神功皇后であり、
宇佐神宮(=全国の八幡宮)の祭神が、
応神天皇、比売大神、神功皇后を祀り、
比売大神は宗像三神だそうですから、
ますます北部九州の神社は、
そこあたりと関わりが深いということに。
神功皇后はまぁ、実在は怪しいようですが、
三韓征伐を行ったということが重要なようで、
要するに、対朝鮮半島ということかと…

その「対」ということが、友好的なものか、
敵対的なものかは分かりかねますが、
福岡の人はおおむね友好的?という印象がありました。
分母は少ないですが…(^_^;)
敵対という意味では、水城や大野城をはじめとした史跡もあり、
友好というか住民あるいはその先祖が渡来人、ということもある。
まぁ、そんな二元論で片付く話ではないのはもちろんですが、
筥崎宮が遷座した921年は何か?と思ったら、
ぱっと見では大したことはないようです…

鹿児島にいると、こう言った、
朝鮮半島とのかかわりを意識することは少なかったのですが、
今回訪問してみていろいろ面白いな、と…
神籠石関係も訪問したことがないので、
(昔、地図でその名を見つけて「何?」と思ったものの、
 福岡出身の彼女に、「遠足で行ったけど面白くないよ」と言われ、
 訪問しなかったという過去があります…)
今後、ツーリングのテーマの一つになりそうな感じです(笑)
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